CD「金城吉春/かなしいうたがききたいぜ」
LINER NOTE
當眞嗣光(とうま・しこう)

 金城吉春は、東京の中野という街で「あしびなー」という沖縄料理の店をやりながら、エイサーと祭りを続けているウタサーです。

 2013年6月23日、吉春と僕は仲間たちと東京・高円寺の群星館・ClubROOTSで「かなしいうたがききたいぜ」というライブイベントを行いました。その日は沖縄慰霊の日であり、満月の夜でもありました。

 今回CDになった同タイトルのこの唄は、その日に歌うために吉春がつくったオリジナル曲です。

 

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 吉春と僕にとって同じ沖縄出身の大切な友人、上里忠之と金城孝栄、そして大切な先輩である高橋淳子さんが、2010年から病気や事故で相次いで亡くなりました。

 忠之と孝栄は、「アシバ祭」や「チャランケ祭」をはじめ、語り尽すことの出来ない、かけがえのない時間をともにして来た同年代の仲間です。

 高橋淳子さんは1950年代から「本土」で生きてきた石垣島出身の女性で、「沖縄居酒屋抱瓶グループ」の創始者です。彼女が営むお店は、僕たちの心の寄りどころでした。

 僕は、大切な人が立て続けに旅立ってしまったことの喪失感の中、毎日酒に呑まれ、さまよい続けました。

 生前の忠之と孝栄と僕は「いつか『かなしいうたがききたいぜ』というライブをやりたいな」と話していました。僕はさまよいながらそのことを仲間に話し続け、やがて「かなしいうたがききたいぜ」というライブイベントの企画が動き出したのです。

 ちょうどその頃、忠之の息子の上里尭(ゆたか)が「あしびなー」でバイトを始めました。尭はギターの名手で、吉春の三線と尭のギターの遊びが「あしびなー」で繰り広げられるようになりました。吉春がこの唄をつくったのは、尭の影響もきっとあったのでしょう。

 

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 吉春と僕が初めて出会ったのは、お互いに多分まだ20代だった1980年代に「ゆうなの会」という沖縄出身の青年たちの集まりで、全国高校サッカー大会に行き、沖縄代表校を応援していたときのことでした。僕はスタンドでずっと酒を呑んでいましたが、吉春は太鼓を叩き声を出して熱心に応援を続けていました。

 僕らは1950年代に日本復帰前の沖縄で生まれ、1972年の「復帰」のあとに大人になっていった「日本復帰後世代」です。あの頃、沖縄を離れて多くの若者たちが就職や進学のために「本土」で暮らしていました。

 あの頃の僕たちには、沖縄出身というだけで、どこか晴れ晴れとしない想いがありました。「本土」には沖縄出身というだけでおきる偏見や差別がありました。

 「ゆうなの会」では、日曜日にエイサーの練習をしたり、バレーボール大会をやったり、ハイキングに行ったりして遊びながら、沖縄出身というお互いの存在に光をあてていきました。またその垣根をこえて、様々な人たちと知り合って行きました。

 忠之と僕は「ディキランヌー」と名付けた仲間たちと「マリーとヘンリーのマスカレード(作演出:上里忠之)」という芝居をつくりました。

 中野北口広場では「アシバ祭」が始まりました。

 吉春や孝栄たちは、ひた向きにエイサーを続けていきました。エイサーを知る人が東京にはあまりいなかったあの頃、仕事のあと毎晩のように中野北口広場で練習を続けていました。やがて吉春はエイサーの修行のために沖縄に行き、数ヶ月経って東京に戻ってからは、よりいっそう情熱をそそいで行きました。やがてそれは「東京エイサーシンカ」と「チャランケ祭」へとつながって行きました。

 僕たちは、かなしみや苦しみや怒りを、遊びや笑いや情熱に変えて表現して行きました。

 

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 気がつけば30年ほどの年月が流れていました。1990年代には沖縄ブームが起こり沖縄民謡やエイサーも「本土」で多くの人たちに親しまれるようになりました。僕はふと思ったんです。「かなしいうたがききたいぜ」というライブイベントがやりたいと。

 本当は忠之と孝栄と淳子さんとともに、このライヴイベントをやりたかった。だけど、3人への追悼とともに始まったこのライブイベントは、新たな出会いと広がりを生みながら8年間続いています。「かなしい(悲・哀)」とは、沖縄で「かなしゃ」といい、いとおしい気持ちも表します。3人の生と死を通じて浮かび上がったライヴ空間は、まさに、かなしくていとおしい世界です。

 

 コロナ禍により、社会は大きく混乱しています。立場が弱い人ほど苦しんでしまう社会に僕たちは生きています。孤独死や自殺者がすごく増えていると聞きます。あの震災と原発事故からも丸10年が経ちましたが、何かが置き去りにされたままのようでなりません。

 きっと僕たちは、かなしみから逃れることは出来ないのでしょう。かなしみとともに生きて行くのでしょう。だから、人と人とが真面目に遊び、生きてることを歓びあうことを失いたくないと想うのです。

 

 沖縄の古くからの集落には、祈りの場があり、その隣りには「あしびなー」があります。「あしびなー」とは、人と人とが集まり、新たな命となって歩みはじめる場所なのだと思います。

 これからの時代を生きる人の心に、「あしびなー」と『かなしいうたがききたいぜ』という唄が、寄り添い続けてほしいと思います。

 (2021.2.22/インタビュー:小林直樹)